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Your search : [ author:華 梅] Total 661 Search Results,Processed in 0.101 second(s)
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1. 装いは顔のメークから
衣食住は人間生活に欠せない三つの要件であるが、その頭に挙げられているのは「衣」である。古代から皇帝もまず衣服を正して天下を治めた。ただし一口に「衣」と言っても、その内容は衣服、装飾品から化粧まで非常に幅が広い。遼寧省海城市の小孤山から出土した四万年前の骨針(ぬい針)は、長い中国服飾文化の歴史を物語っており、二万七千年昔の山頂洞人の首飾りは人類の美を愛する心を映している。現代でも、中国の五十六の民族
Author: 華梅 Year 1996 Issue 1 PDF HTML
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2. 服飾の中に残る原始信仰
『聖書』によると、人類の祖先といわれるアダムとイブはヘビに欺かれ、「禁断の木の実」(神から禁じられていた〈知恵の木〉の実)を食べたため、羞恥(しゆう)心が生まれ、いちじくの葉で下腹部を覆ったといいます。これが恐らく人類服飾の起源を語る最も甘美な話でしよう。二千年前の中国の詩人屈原は『九歌·山鬼』の中で、女神が「薜荔(へいれい)を被(き)、女蘿(じよら)を帯とす」と書いており、やはり、昔は木の葉、蔓
Author: 華梅 Year 1996 Issue 2 PDF HTML
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3. 堂々たる冠と礼帽
孔子の愛弟子子路は勇敢な武人で、衛の国に仕えましたが、反乱軍との乱戦中に冠の帯が切れてしまいました。彼は「君子たるものは死する時も冠を落とすべからず」と群がる敵の中で冠のひもを結び直し、その場で敵に惨殺されたそうです。孔子はその報を聞くとたいそう悲しみ、台所にあった肉を捨てさせ、以後二度と細切れ肉を食べようとしなかったといいます。死に臨んでなお冠を正すというのは、中国の男子にとって冠がいかに大切か
Author: 華梅 Year 1996 Issue 3 PDF HTML
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4. 寛袍服のいろいろ
京劇に『打龍袍』という出し物があります。北宋の時、仁宗の母親である李太后が仁宗に罰を与えるため、廉潔の士として名高い高官包拯に、自分の代わりに皇帝を打てと命じました。包拯は、過ちを犯した息子を母親が叱るのは道理だが、臣下の身で主君を打つのは恐れ多いことだと思い、陛下に龍袍を脱いでもらって、棒でそれをたたき、皇帝を処罰するかたちをとって、太后の怒りを鎮めました。この場合、龍袍は皇帝の身代わりになった
Author: 華梅 Year 1996 Issue 4 PDF HTML
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5. 髪型の移り変わり
『三国演義』によると、建安三年(一九八)、曹操が張繡を討伐するため出兵したのが、おりしも小麦が実った旧暦四月です。曹操は、小麦畑をやたらに荒らすものは処刑するとの命令をくだしました。ところが曹操が乗っていた馬が畑から飛びたった鳥に驚き、小麦を散々踏んでしまいました。曹操は自分の首を切るべきだと言い張ったのですが、将軍たちが、大軍を率いて出征している最中に統帥者が自らの首を切るのは作戦に不利だと必死
Author: 華梅 Year 1996 Issue 6 PDF HTML
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6. 心を伝える同心結やハンカチ
伝統的な中国の結婚式では、新郎は必ず赤い絹の帯を手にした新婦を引っ張って初夜の部屋に入ります。絹帯の真ん中に大輪の花のような結び目を作り、これを「同心結」と呼んで固く結ばれた二人の心を表わします。「同心結」は漢民族の伝統的な服飾の一つで、二本の彩色した縄あるいは錦帯をよりあわせてから結んだものです。その始まりは千五百年前の南北朝時代で、以来髪を束ねるリボン、腰帯、ショールの飾りひもなどに広く使われ
Author: 華梅 Year 1996 Issue 7 PDF HTML
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7. 旗袍(チーパオ)の移り変わり
宋慶齢女史は中国近代史上において広く人々に敬愛された女性です。彼女は重要な会議や外交活動をするとき、いつも旗袍(チャイナドレス)を着用しました。中国女性の代表的な服飾として、旗袍は女性の上品さ、美しさをいっそう盛り上げました。旗袍はかつて中国を象徴する服装として、世界各国の人々から賞賛され、中国の服飾文化を代表するものと考えられて来ました。ルーツは満州族の長衣旗袍は上下に分かれていないワンピースの
Author: 華梅 Year 1996 Issue 8 PDF HTML
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8. 情感あふれる舞衣裳の誕生
唐代の最も有名な舞踊の一つは「霓裳羽衣舞」です。舞踊に長ずる楊貴妃はこの舞が上手で、自分と肩を並べる者はいないとまで自慢しました。その音楽は唐の玄宗が西涼節度使の楊敬述のささげた天竺(古代インド)の「バラモン曲」をもとに改編したもので、メロディーも風格も舞衣裳も古代インドの特色を備え、それに中国の伝統的歌舞の風格を融合させています。伝説によると、踊り手の衣裳はクジャクを象(かたど)り、上にいろいろ
Author: 華梅 Year 1996 Issue 9 PDF HTML
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9. ズボンの起源と移り変わり
韓信は前漢(紀元前二〇六~紀元八年)の建国に大功のあった将軍ですが、若いころはとても貧乏でした。ある時、淮陰の不良少年がみんなの前で彼に恥をかかせてやろうと思い、「根性があるならこの場でおれを刺せ。その勇気がないなら、おれの股の下を潜れ」と韓信に言ったところ、彼はしばらくその不良を見つめていましたが、やがて身を屈めてその股の下を通ったそうです。人々は韓信を臆病者だと笑いましたが、彼が一時の恥を我慢
Author: 華梅 Year 1996 Issue 10 PDF HTML
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10. 半袖·袖なしもあじなもの
千六百年前、晋代の人干宝が書いた『捜神記』の中に妖怪の話が出て来ます。三国時代の魏の大臣で書家でもあった鍾繇を夜毎に一人の美女が訪ねて来ました。鍾繇は彼女の正体は人間でないと見抜いて、刀で彼女の足に切り付け、翌日血痕をたどって行くと、ある墓の中に女が横たわっていました。死体は白絹のシャツを着て、上に赤い刺繍のある「裲襠(りょうとう)」を重ね、「裲襠」から引きちぎった真綿に血を拭いた跡が残っていた、
Author: 華梅 Year 1996 Issue 11 PDF HTML